善光寺平の誕生
犀川と裾花川に囲まれた長野市を中心とする盆地は、古くから善光寺平と呼ばれています。この善光寺平の農地が切り開かれたのは今から400年程前、江戸時代の始まりのことです。
1603年(慶長8年)、徳川家康が征夷大将軍に任じられ江戸幕府を開いた前後で、善光寺平を含む信濃国川中島藩を治めるのに任命されたのは当時12歳の徳川家康の6男、松平忠輝でした。
忠輝の家老である花井吉成と、その後を継いだ息子の花井義雄は、裾花川の大規模な治水工事を実施しました。当時の裾花川は、大雨のたびに氾濫し、川の流れさえ変えてしまう暴れ川でした。現在の長野県庁付近から東へ向かって何本にも枝分かれし、洪水のたびに周辺の農地に大きな被害をもたらしていました。
裾花川を現在の裾花川の流れに整えた、花井吉成と息子の義雄の行った大工事を「裾花川の瀬替え」と呼びます。この工事によって 裾花川の流れが変わり、かつて裾花川が流れていた善光寺平の大地に農地が切り開かれたと伝えられています。